私の名前を言うのを忘れていた。私の名前は長嶺と言う。
みんなは私のことを「ガーヤマン」と読んでくれている。
このボランティアのメンバーは私のことを「パオ」と呼び、現地の子は私のことを「パイ」と呼ぶ。この「パイ」には「浮かぶ、沈む、フリーター、はぁ…、えぇ」という意味が含まれている。
ここでの暮らしを心配する必要はない。
私は楽しくやっている。毎日の生活は日本でいた頃とはとても比べ物にならないほど辛い。
けども今私はこの辛さの中にこそ幸せがあるのだと思う。
よく転職者が「ここも私にあってないから辞めよう」というが、本当にそれでいいのだろうか?果たしてそれで満足できるのだろうか?私はそう思わずに入られないのだ。
なぜならこの地へ転職して思うことだが、環境というのは自らが変化しない限り適応できるはずがないのだ。
相手に何かをしてもらおう。何かをもらおうと思って待っていても何も来るはずがないのだ。
「自ら欲するものは自らの力で手に入れる」
これがこの地の掟なのだ。その点を考えると日本の求人はありあふれているために上記のような甘えた転職者を生み出してしまうのだろう。
ガキタワン…私はこの地であの壮絶な戦いを思い出し自分のかけてきた何かを見つけれた気がする。